イマイチご馳走感のないご馳走
こんなことを言うと育ちがバレるような気がするが、人がご馳走だと言っている物に魅力を感じないことが多い。
カニ
カニ。世間では文句なしでご馳走扱い。やれタラバガニだ毛ガニだって言って騒ぎ立てるし、テレビではグルメリポーターが「みそが濃厚!」とか言って目を丸くする。
でも自分の中で、カニは文句なしでご馳走ではない。ご馳走だとは認めない。食べたことはあるんです。世界が勝手にカニに対するハードルを上げてるから、「あ、うん」みたいな感想しか出てこないし、食べれる量少ないし。やたら高いし。
たまにカニ食べ放題とか見るけど、魅力ゼロ。カニ食べてる人ってやせ我慢で食べてるんじゃないのかって疑うレベルで魅力を感じない。
いや、わかるんだよ、食べてるうちに美味しくなってくんだろうなあっていうのはね。ビールとかそうだったし。でも、カニって食べるための労力かかりすぎじゃない?剥いたりするのが面倒という意味においても、金銭的労力という意味においても。
ウニ
すいません、20年ほど生きてきて、ウニは一回も食べたことないんです。だから、美味しいのかどうかも知らない。美味しいんでしょうね、みんな美味しいって言ってるから。
だったら食べなよってみんな言うけど、謎の抵抗感。見た目なのかな、異様過ぎてどんな味がするのかも想像つかないっていう。
お寿司屋さんとかでも、「また今度でいいや...」で済ませてしまうことが多い。どのタイミングで食べたらいいのかもわかんないし、もはや自分の中で存在感が薄すぎて、ネタとして存在していることに気付かない。
エビ
別に海の幸に恨みがあるわけではない。僕もエビは食べますよ。普通に美味しいと思うし。ただ、厄介なのが、「普通に美味しい」の"普通に"っていうところ。あったら全然食べるけど、なくても困らない。だから、エビチリって97%くらいエビで構成されてるから、エビチリそのものがなくても困らない。
よく、鍋するぞーって言ってスーパーで買い出ししているときに冷凍のエビを入れようとしてくるやつ、お前何なんだ。
伊勢海老の刺身とか出されても、素直に喜べないような気がする。多分、「わ〜すごいですね〜」などというセリフを薄っぺら〜く並べて終わってしまう。それで微妙な空気になったら、伊勢海老をいかにもご馳走であるかのように出した人といかにもご馳走であるかのように出された伊勢海老を喜べない人、どちらが悪いのだろうか。
やっぱ好き嫌いがないことはいいことだなあと思うけど、別に嫌いではないんだよ。むしろ好き側にいる。偏差値55くらい。だからエビは難しい。
おせち
いやー、これでしょ。おせちはご馳走としては認められない。これについては自信あるんですけど、みんな「そういうものだから食べてる感」抱えてないですか?
あの、「縁起物だから食べるんだよー」みたいな説明なら子供の自分でもそういうものかと理解できるんですけどね、「ご馳走だから食べな」とか言われても、
こんな地味なご馳走があるか!!!
自分の中のご馳走像としてあるのは、ステーキ、焼肉、刺身などなどの、派手なご馳走。もうそういう派手に慣れちゃうとだめですね。例えるなら、フェラリーとかランボルギーニを見た後の、ボルボみたいな。ちょっと例えが微妙なので強調はしない。
そんな事情をおせち業界も察知しているんでしょうね、最近のおせちって
ローストビーフ入ってるんだよ。
お高くとまって「お前らはまだまだ子供なんだよ」みたいに振舞っていたおせちも、相手にされなくなってきて焦ってるんですかね、"下々の世界"に歩み寄ってきているんだなと感じました。ローストビーフだけ減るの早かったな。
果物全般
これに関しては、完全に自分に非があるのは認める。今まであげてきたものと比べて魅力で言えば圧勝だもん。
美味しいのはわかるし、食べたくなる時もあるけど、なんだろう、全然追いかけたくならないんだよな。尽くすタイプの彼女みたいな。そういうなんともいえないうざさを含んでいる。これは多分子供の頃におばあちゃんが頼んでもないのに無理やり食べさせ続けてきたことに起因すると思われる。
果物はこっちが何もしなくてもしつこく迫ってくる
そんなイメージが、果物を敬遠してしまう原因なんだろうなと思う。果物の供給過多という家庭環境がこの私を変えてしまったのだ。
ご馳走=たまにしか食べられないものという条件を満たさなくなってしまったのだ。
たまに実家に帰るとおかんが誇らしげに高めのイチゴをデザートとして出してきたりするが、なんというか、逃げたくなるような気持ちが生じてしまう。お母さんごめんなさい。
まとめ
この記事は、のちのち修正していくことが前提に作られている。人の心はいつ大きく心変わりするかわからない複雑なものだからだ。
俺だって、いつ「カニは美味いの食ったら世界変わるよ〜」とか「年取らないとわからないんだよな〜」とかいうおっさんになるかわからない。
そんなおっさんになったら、別記事を書きたいと思っている。