イクメンって父親にとって当然の心構えなんじゃないの?
どうも、共働きの家庭で育った大学生です。
最近、イクメンって言葉腐るほど聞きますよね。なんやねん、イクメンって。まあ、育児に積極的なお父さん的な意味合いなんでしょうけど、それって普通に当たり前のことなんじゃないの?
負担のバランス
父と母の育児によって受ける負担のバランスを考えた時、圧倒的に父親が子育てをするべきなんですよ。なぜかと言うと、母親は出産という育児における最大の物理的な痛みと苦しみを味わってるから。
男が陣痛食らったら死ぬらしいよ。そんな痛みを伴ってお母さんは子供を産んでるわけだよね。命の危険を冒してるんだよ、出産って。それ考慮したらさ、家事や育児の役割分担なんてものじゃなくて、むしろ父親が全部やるくらいの勢いじゃないとバランスは取れないと思うんだよね。家事全部やっても死なないでしょ。極論だけど。
この考え方がこの記事の大前提にあります。
金銭的な問題
そんなことを言っても、お金がないと飯が食えないっていう事実はある。現実問題、父親が一人で育児と家事もして仕事もするのは無理だろう。だから、必然的に子供をつくると、全体的に見ればその夫婦の中ではお母さんの方に負担が大きくなってしまう。これはしょうがないことだと思う。(ここでは、専業主婦でも立派な仕事だと考えている。)
両親のうちどちらか、あるいは両方(現在では後者の方が多くなっているか)が仕事をして家事もしなければならない。
父親に何ができるか
どうしても母親側の負担が大きくなることは受け入れるしかないとして、その負担の差を縮めていくために父親にできることは限られてくる。
一つは、家計に多大な貢献をすること。
これはかなり寂しい考え方な気もするけど、父親がよっぽど多くの収入を得ることができるなら、母親の負担とのバランスは取れるんじゃないかと思う。ただし、出産という大きな仕事と母親の普段の仕事や家事とバランスをとるほどの収入というのはかなり大きなものになるだろう。
だって、年収400万とかじゃ、どうしてもバランスは取れてないでしょ。家計のやりくりが厳しいよ絶対。母親が楽ができるくらいの収入がないとギャップを埋めているとは言えないよね。
もう一つは、家庭の仕事(家事、育児)に積極的に参加していくこと。
母親お負担とバランスを取れるほどの収入を得ることができる人の数は限られてくると思う。だから、ほぼすべての父親は家事、育児に積極的に働きかけていくことでしか、母親側の負担とのギャップを埋めることはできないだろう。
父親が収入でも貢献し、家事育児の割合を大きくすることで、出産という一大イベントをやり遂げた母親の負担との差を少しずつ縮めていくしか、負担のバランスをとる方法はないと思う。
それをわかってる男しか、「子どもは○人ほしい」などということを軽率に言うべきじゃないと思うんだよね。「子ども3人ほしいんだよね」とか言ってる男見るといつも虫酸が走ってる。リアルだとこんなことあまり言わないけどね。
俺の家庭はどうだったんだ
これが極端な考え方なのはわかってる。なんで俺がこんな極端な考え方をしてるかって言うと、父親がいわゆる「イクメン」だったから。
共働きだったけど、父親が洗濯以外のほぼすべての家事を行ってたし、休日とサマータイムで帰りが早い時期は夕食の支度も父親が行っていた。当然のように行っていた。
だから、それが普通だと思ってたんだけど、「イクメン」が騒がれてるのを見て、「おっと、これは普通じゃないんだな」と思い始める。「イクメン」は当然じゃないのか?当然じゃないのなら、世間の父親は何をやっているんだ?微妙なお金を稼いできて家でふんぞり返ってるのか?もしそうだとするなら、世間の母親は辛すぎるんじゃないか?
俺は「イクメン」になるんだろうな
イクメンでない父親を見たことがないから、多分子供ができたら俺はイクメンになるんだと思う。それが当然だと思ってたけど、案外そうでもないらしい。
家事育児に積極的に参加するだけで、良い夫になれるなら、家庭に感謝したいと思う。だって、普通に生きてるだけで、いわゆる「優良物件」の男になってるわけでしょ。
どうも、優良物件候補の大学生です。
イクメンで一番大事なのは、さりげなさだと思うんだよね。「やってあげてる感」が出てると母親も窮屈に暮らさなきゃいけないでしょ。いかに「当然のことでしょ感」を出しながら家事育児に貢献していくか。ここは人間力が試される場所だと思うなあ。
まとめ
まあ、まとめると、子どもがいる家庭は父親ががんばれよってこと。人って自分の育ってきた家庭のあり方が無意識に刷り込まれてるから、女性の社会進出が進んでも状況はすぐには変わらないかもしれないけど、メディアで「当然でしょ空気感」をつくっていけばだんだん変わってくると思うよ。文化とか社会ってそういうもんでしょ。
この記事がその空気感を作る一助になればいいなあと願うばかり。