地球のどこかから発信するBlog

とある男子大学生が考えたこと、学んだことを書きます

ただ映画を観続けるとバカになるケーススタディ -俺の場合-

どうも、映画をなんか高尚な趣味だと思ってた大学生です。

 

夏休みに入って、映画を見る本数が増えた。Amazonプライム最高だわ。これはステマではありません。「今日は映画4本も観ちゃったよ〜」なんてTwitterでつぶやいたりしました。明らかに自分に酔ってることがわかるエピソードを世間に晒す勇気を褒めてもらいたい。

 

f:id:pshup:20170709235114j:plain

 

ただ、1日の起きてる時間のほとんどを映画鑑賞に費やした後、俺はバカになっていた。

 

前提

この記事では、「バカ」を、コンテンツを消費するだけの人間のことだと定義する。この「バカ」にはポジティブな意味もネガティブな意味も付与されていないことに注意されたい。

 

How:俺はどんなバカになったのか?

5W1H(When, Where, Who, What, Why, How)なんていう話の構成要素を小学校の頃にもう習っていたので、それに則って話を進めていきたいと思う。といいっても、ここで話すのに値することはWhyとHowしかないのだが。

 

俺は映画を観まくって、どういうバカになったのか。命名しよう。それは...

 

思考停止バカだ!!!

 

なんと、映画を観ることで、俺の脳は活動を停止したのである。こう言うと語弊があるから、より詳しめに説明すると、俺の創造的な脳の部位は、はたらかなくなった。ただ、目の前で繰り広げられている描写を処理するだけの機械と化していたのだった。自分では、何も新たな価値を生み出せない、そんな人間になってしまっていたのである。

 

パスカルが「人間とは考える葦である」と言ったのはあまりにも有名だが、パスカルに言わせれば、俺は人間ではなかったのかもしれない。パスカルに関して詳しくないからここで文脈とか持ち出して反論するのはやめてください、お願いします。

 

だって、何も考えてないからね。映画観てる間、ただ画面の前に座ってぼーっとしてるだけだった。「いや、映画を観て感動できているということは、それは考えているのと同じだろう」と言う人もいるだろう。

 

でも、俺は何も新しいことを生み出さなかった。ただ、つくられたストーリーに乗っかって、主人公の人生、経験を疑似体験、つまり、簡単に説明してしまえば、それこそただストーリーを処理しただけだった。これは考えているとは言えないだろう。ただ消費しているだけだ。

 

映画のタチの悪いところは、なぜかちょっと高尚な趣味のような感じがして、ただ観ているだけで「この人は賢そうだ」といった印象を与えるところだ。だから、映画を観て、「あーおもしろかった」だけで終わっても充実感を得ることができる。俺も感じてた。「4本も観ちゃったわ〜」ってSNSで言うくらいだからね。

 

多分それが、映画人気の理由なんだと思う。

 

 

Why:なぜ映画を観てバカになったのか?

 これは先述の通り、映画鑑賞それ自体が、何も考えなくても完結できる行為だからだ。要するに、映画は受動的の極みなのである。受動的の極み映画。なのである。

 

映画を観て何かを考える人は多くいる。よくある感想で「考えさせられる」というフレーズがあるくらいだから。でも、大事にしてほしいのは、考えた結果、答えが出たのかということ。別に「答えは決められない」とかそういう答えでもいいけど、自分なりになにか、考えた成果を得たのかということ。「考えさせられる」というセリフはまだ考えてない人が言うセリフだから。このパラドックス、痺れるよね。

 

 映画を観ていて、なにかメッセージや問題を見つけ出し、それに対して自分が答え(解答という意味ではない)を生み出せれば、それは立派な創造的行為であると思う。

 

でも、俺を含めて多くの人は、映画を観ながら何も見つけ出さないまま終わり、ただ「おもしろかった」、「迫力があった」という受動的な感想だけを残すだけだ。遊園地のアトラクションと何も変わらない。どこが高尚な趣味なんだっつうの。

 

そりゃ2hも続くアトラクションに1日4本も乗ってたら何も考えないでしょ。それと同じ。

 

何度も言うけど、映画のタチの悪いところは、「映画を観て考える人」と「映画をただ消費する人」を世間があまり区別せず、前者にフォーカスを当てることで、映画を文化的な趣味に仕立て上げているということ。

 

 

Solution:映画を観てバカになりたくない人はどうすればよいか

全然、バカでもいいと思う。俺もバカになるの好きだし。バラエティ番組を観て爆笑するのも「消費」、遊園地でアトラクションに乗るのも「消費」だし、消費するのは楽しい。映画を観て感動するのももちろん「消費」だし、バカ。

 

ただし、映画は、「考える」を始めるきっかけが、他の受動的娯楽よりも多いとは思う。それを使うか使わないかはその人の意識次第であることに変わりはないけど。

 

でも、もしも、映画を観て、高尚な人物になりたいと願うのならば、映画を観て、そして自分で何かを生み出さなければいけない。

 

簡単に自分に何かを考えさせる方法はレビューだと思う。さらに、そのレビューを他人様に向けて発表するのがいいと思う。他の人に見られるのならば、「アトラクション感想」を書けなくなるだろう。

 

「おもしろい」、「つまらない」だけじゃなくて、映画を通して自分の考えを深めるような、そんなレビューが望ましい。それができれば、それはもう創造的行為で、あなたはもうバカではない。あなたはもう「人間」なのである。

 

 Future:俺は今後どうするのか

こんなこと言いながらも、結局レビューとか書くの面倒くさいし、考えるのとか面倒くさいから、バカであり続けると思う。「考えさせられる」って言っとけばいいし。

 

でも、自覚はしていたいと思う。ただ映画を観るという行為は、別に文化的に優れた行為じゃないんだってことを肝に命じておきたいと思う。映画はアトラクションなんだって。そうすれば、冒頭の「4本も観ちゃたわ〜」は「4回もFUJIYAMA乗ったわ〜」と同じ種類の充実感だったことになる。これはこれでありじゃん。ただし、優越感には浸れなくなる。

 

まあ、手っ取り早く賢く見られる方法はないんだなって改めて実感した。別に映画をたくさん次から次に見てたところで偉くもなんともないし、ましてやその人が賢いわけでも当然ない。

 

そういう人は、いろいろなジェットコースターに乗ったことがある人と同じレベルということ。ただそれだけ。