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とある男子大学生が考えたこと、学んだことを書きます

意識高い系はタチの悪い宗教だ

どうもテストに追われている大学生です。

皆さん、意識高い系と言う言葉を聞いたことがありますよね。この意識高い系、散々disられた割には、最近では何も行動起こさない人より全然良いといったような風潮で落ち着いてきているような気がします。

ここで言いたい。意識高い系は害悪であって別に褒められるものではないということ。

 見下す

まず大前提として言っておきたいのが、人の人生に優劣がないということ。これは綺麗事に聞こえるかもしれないですが、実際真理だと思います。ここなんですよ、意識高い系が害悪となるポイントは。

 

意識高い系の何が問題かというと、彼らはまあまあの確率で他人を見下しています。(もちろんそうでない人もいるかもしれませんが)彼らは、自堕落な人や、成長の意欲がない人を見ると、「なんで成長しながらないの?」とか、「何のために生きてんのかな」とか、あたかも自分が上の立場にいるかのような発言をしてきます。てめえなんで上の立場にいるんだよ。

 

でも実は、彼らを、彼らの中で他人より上の立場に置く理由はまともなものは1つもないんです。

 

宗教だった

この構造って何かに似てると思うんですよね。何かと言うと、宗教です。宗教って、入信していない人からすれば、彼らを支える理由は何もないじゃないですか。それと同じことが、意識高い系にも言えると思います。彼らが大好きな「グローバル」とか、「多様性」が当たり前になりつつある時代において、自分の意見を他人と相対化できないと言う事は致命的です。 100人いたら100通りの生き方がある事は容易に想像できることではありますが、意識高い人々にはそれが想像できない、または人生をランク付けしているように見えるんですよね。

 

成功者の人生というカタログの中にあるライフプランを目標に生きているかのように。

 

 

そもそも、意識高い人々と言うのは、先鋭的なことを言う人に影響されて生きています。そういった人々が、「ビットコインはすごい」と言えば、ビットコインを買い漁り始めるし、「人文科学はやっても無駄だ」(優秀な人にそんなことを言う人はまずいないでしょうが)などと言われれば、一般教養科目を切ってまとめサイトで「知識」を得ようとするのです。ここで知識に「」をつけたのは、その知識は意識高い人々の間でしか、価値を持たないからです。

 

さて、意識高い人々が宗教であることがわかりましたが、それは意識高い人々を軽視することとはイコールではありません。なぜなら、それはある一定勢力を築いており、日本の中でも無視できないほどになっていると思うからです。

 

ローマ帝国は、キリスト教を迫害していましたが、その勢力が伸びていくにつれてキリスト教を懐柔していきました。ここで重要なのは、ローマ帝国キリスト教の教義をきちんと整備したということです。

 

意識高い教にはこの点が足りていないと思います。

 

経営者、CEOみたいな人が好き勝手にいろいろなことをつぶやき、発信し、信者(意識高い系)は翻弄されてしまいます。早急に意識高い教の教義の整備をしていくことを求めます。

 

今では、いわゆる「宗教」に分類されるイデオロギー(キリスト教イスラム教、仏教、儒教など)は、このグローバル化の波の中で、自身の教義が絶対的でないことを認識しています。(中には過激な原理主義者のような人々もいますが) それと同じように、意識高い人たちも、自分たちの考えが普遍的でないということを理解してほしいと思います。

 

入信の理由

ここで、なぜ人は意識高い教に入信してしまうのかを考えてみたいと思います。これを一言で片付けてしまうのならば、「承認欲求」だと思っています。意識高い教に入信するのは、ほとんどの場合学生だと思います。学生はまだ何者でもないモラトリアム期間です。その人を無条件に肯定してくれる人は家族くらいのものです。その中で、普通はサークルなりバイトなりで人間関係を築いていくんだと思いますが、それに飽き足らない孤独な人たちはさらに多くの人に認められたいとでも思ってしまうのでしょうか。そうすると、意識高い教に入信してしまうのです。なぜなら、意識高い教は「入信すれば、人より一歩先に出ることができるよ」とか、「優秀な仲間がたくさんできるよ」というようなことを謳うからです。

 

 

僕は、本当に意識高い人というのは考慮していません。何故かと言うと、人の根源的な欲求として承認欲求があると思うからです。だから、「本当に意識高い人」は存在しないと思っています。偏見ですけど。

 

「成長」をして結局どうするの?と聞くと、「大きな事業を動かしたい」だとか、「ソーシャルグッドな影響ワイドに与えていきたい」みたいなことを言うと思うんですが、それってその人がもしそれを成し遂げて誰にも褒められないとしたら、それを成し遂げようと思いますか?と聞きたいですね。褒められたいからやってるんでしょ?モテたいからやってるんでしょ? (これは完全に個人的な意見ですが) このブログだって、面白いとか評判になりたいなと思ってやってるよ、うん。

 

タチの悪い宗教

だから、意識高い系と言うのは、人が絶対切り離すことのできない承認欲求と他人と完全に分かり合うことができないと言う絶望につけ込んだ、タチの悪い宗教だと思うんです。それで承認欲求が満たされていると感じれば、そのイデオロギーを相対化して考える事は難しくなるのでしょう。相対化してしまえば、本当は承認欲求が満たされていないことに気づいてしまうから。

 

だからこそ、意識高い教の指導者に当たるような人々には、そのことを伝えていってほしいと思う。まぁ、その指導者みたいな人たちも信者だから、どうしようもないと言えばどうしようもないんだけどね。

 

結局、他人を見下すような態度がなければいいんだと思う。無理やりこっちに価値観を押し付けないでくれ。頼むから。

 

 

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