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とある男子大学生が考えたこと、学んだことを書きます

【走り書き】批評という麻薬

批評は麻薬だ。

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 ここでいう批評

ここで問題にする「批評」っていうのはマウンティングの手法として、他者や他者の創作物を蔑むことだと定義したい。

 
 重要なのは、マウンティング。外から見たら、マウンティングしようとする意思があるかどうかなんてわからない。しかし、ほぼすべての批評はマウンティング欲求から始まっていると思う。そもそも、批評が生ずる心理状態の中には、無意識のマウンティング欲求があるように感じている。それは自分の体験から得た、確信とも言える考えだ。
 
 

自分が批評する

俺の批評スピリットは、親父から受け継いだところがあると思う。親父には一部分だったそれを見て、俺は本当に、なんでも批判するような男に成長を遂げていた。

 

他人が良いと言っている映画、音楽、本、すべてに関してなにかと文句をつけたがる。難癖をつけるのが癖になっていた。まさに難癖癖がついていたのだ。常に他の人の動向をチェックして、「それは違う」とか「センスがない」と言って批判していた。

 

そこで、タチが悪かったのは、自分が嫌いだから批判するのではなく、いかにも客観的に評価していますよという顔をして対象を批判するのだ。「批評」にはそういう性格があり、まさに自分もそれを実践していた。

 

客観的に見えるように、2chとかTwitterを見て、自分と同じような「批評家」が「客観的」に語っていることを自分の論の補強に使っていた。「批評家」たちは「人」という時と同じように互いに支えあって成り立っていたのだ。

 

 

気づく

自分がそのような批評家精神に蝕まれていると気づいたのは、自分の好みを人から隠していたことに気づいた時だった。なぜ、好きなものを人に好きと言えないのか。それを考えると、出てきた答えは恐怖だった。いつ自分が同じ批評家たちによって攻撃されるかわからない恐怖。まさにそれは、自分の立場(批評で積み上げたはずの幻想の立場ではあるが)を守るため、マウンティングされないようにするためだった。

 

ああ、なんてバカなことをしていたんだろう。人の上に立とうなんておこがましいことを自分は思っていたのか。人と自分は違うなどと思っていたのか。

 

 

変える

そのときから、行動を変えてみた。なんでも褒めてみる。テレビに出ている芸人、とりあえず笑ってみる。テレビに出ているエリート、「すごいなこの人たち」って言ってみる。テレビに出ている俳優、女優、モデル、「この人かっこいいなあ」、「この人かわいいなあ」って言ってみる。とりあえずなんでも褒めてみた。テストで良い点を取った友達、「すげえじゃん」、運動神経のいい友達、「お前にはかなわない」。

 

そうすると、なんともすがすがしい気持ちになってくる。もう勝手にマウントの取り合いを演じて、息苦しさを感じる必要はないんだ。

 

そして、素直に自分の気持ちを表現できるようになると、意識しなくても批評することは激減した。他者も素直に気持ちを表現している。自分も素直に気持ちを表現している。そこに優劣はない。

 

何が問題なのか

批評っていうのは、一番楽にマウントを取れる方法だと思っている。いかにも世間の声であるかのように「客観的」に相手を批判すれば、自分が上に立ったかのような気がしてくる。それでも、いつも不安に怯えている。自分がマウンティングされるのを異常に恐れるからである。

 

自分は他の人とは違うんだと思っていたいが、そうでないという事実に薄々勘付き始めた時に批評家精神は生まれるんじゃないかと思っている。だから、批評する人よりも、素直に自分の好きなものを好きと言える人の方が強いということを知っていて、怯えるのだと思う。

 

自信のなさが、恐怖に結びつき、さらに批評家精神を加速させる。そんな悪循環が、麻薬と同質のもののような気がする。麻薬より悪いところは、批評はすぐにでも始めることができるということである。「手に入れやすさ」が麻薬とは段違いなのである。

 

他人を認められるようになる

批評をやめてから他人を認められるようになった。感謝を心からすることができるようになった。自分が特別な存在でないということに気づいているから、助け合いの精神が生じた。人間関係も良好になった。そして、もっと自分が好きになった。人を認めるようになってから、自信がついてきた。普通逆のように思えるが、それは実際に自分に起こった事実だった。

 

今となっては、アランが言った、人を変えるのは行動だという考えが正しそうだとつくづく感じる。

 

fromsomewhereearth.hatenablog.com

 

誠実になった

そして、批判をする時には、自分が嫌いだから批判するんだということ忘れないようにしている。自分が世界ではないことを自覚するように心がけている。それが誠実であるような気がしているから。嫌いなものに嫌いだと「自分」が攻撃する。「世界」に攻撃させない。まわりくどくするよりも、自分が嫌いな理由を述べたほうが、自分のかける労力も少なくなるし、誠実である。

 

 

批評家たち

批評家たちは、自信のなさから、他人に怯えているんだと思う。よく2chとかTwitterで見るような人たち、自己愛が足りてないんじゃないか。自分が何者かでありたいというような願望、俺も持ってたからよくわかるんだよな。それって、「夢」と基本的には同じであるような気がするけど、それを持ったまま社会に適合して、「人々」のなかに自分が置かれてしまうと、批評家が生まれてしまう。でも、それを捨ててほしいなと思う。こっちのほうが楽だから。

 

みんな一人一人がその「何者」なんだってことに気づいてほしい。

 

こんなことを言ってる俺も

こんなことを言うのは、批評家たちに対してのマウンティングなのかもしれない。もしそうなら、まだまだ麻薬の味を忘れられてないのかもしれない。 

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